【シリコンバレー留学生の人生日記とは】三浦史也について




ご覧くださりありがとうございます!こちらでは「三浦史也って誰やねん。」ということをまず初めに解消していただくために自己紹介をしていきたいと思います。

-プロフィール-


三浦史也(ミウラフミヤ)

1995年12月20日生まれ。5歳まで仙台に住み、それからは横浜市に住み着く。出身は横浜ということにしています。大学4年の歳で現在は一年間休学中です。

人生経験いろいろ積みたい系男子です。

略歴

幼稚園時代

とにかく泣き虫。幼稚園に連れて行かれすたびに泣いていたそう。

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一人になると不安系幼児でした。たしかに、泣いていたことが多かった記憶があります。笑
しかし最近は涙一滴さえでないのでこの頃の僕に泣き方を伝授されたい…。

外遊びや虫取りが大好きな幼稚園児でした。

小学生時代

友達と遊ぶことに夢中。はまっていたことはドッチボール、おにごっこ、ゲーム全般、デュエルマスターズ、遊戯王、などなど。。

とにかく遊んでいました。

ゲームは「ポケモン-エメラルド-」のプレイ時間は400時間を越えており、ポケモン図鑑365匹(明確な数字は忘れました)を制覇し、最後の方はプロアク(プロアクションリプレイ)を使って色違いのルギアとかと遊んでいました。

ドラクエ8も12周ほどしており、データを何個も作り遊んでいました。

その中で、データ全てを完全クリアまで追い込み、またその中の3データほどはパーティが全員99レベになっています。そのため最後の竜神王のルーチンも全て2ターンで突破することができます。

その他には、クラッシュバンディクーシリーズもほぼ全てやりこみました。

ガンダムのゲームも無双やガンダムvsZガンダムとか、塊魂、スライクーパー、ナルトのゲームからどうぶつの森などをやっていました。(意外にやりこんでいたことに今気づきました。長くなりすみません)

そのくらい、小学生の頃はゲームに夢中でした。

また、僕は遊戯王よりはデュエルマスターズ派で、カードを全てかき集めたら100デッキはできるほどの量が家にあります。(1デッキ=40枚。なので4000枚以上)

そのデッキたちで、自分でトーナメント表を作り、8時間くらいかけて優勝デッキを決める一人デュエルもしょっちゅう行っていました。(これは高校生の頃ですが。)

端から見たら気持ち悪めですが、やっている本人はその世界に入り込んでいるのでめちゃくちゃ楽しいんです。

また、その他には外遊びをすることが好きで、鬼ごっこを毎週2回ほど友達とやっていました。

あの無邪気な時代にたまに帰りたくなることがありますが、これが成長ということで思わないようにしています。

しかし未来に何か、過去に戻れるような機械などが出たら1日くらい体験するのもありかななんて思っています。

その頃は習い事も水泳、塾、空手を長く続けていたのですが、特に水泳が嫌いすぎてサボりまくった記憶もあります。お母さんすみません

中学生時代

とにかく部活に夢中でした。

テニス部に所属していたのですが、部活以外にも友達と公園で何時間もテニスをしたり、(我らのチャリンコをネット代わりにプレイ。)定期テストの時も度外視でテニスをしていました。

また、このころに下からの追い上げが楽しいということに気がつきます。

というのも、始め僕は同級生の中で12番手いるなかの10番手で、最下位グループにいました。

それが悔しすぎたので、楽しくも真剣にもテニスをやり、1年後には最上位グループに所属し、県大会や関東大会に行っていました。メンバーをみるみる抜かしていくのが楽しくてたまらなかったです。

速度感は、マリオカートで12位からキラーを使って這い上がる感じです。笑

夢中になりすぎて、「部活引退したら学校くる意味ないなー」と言っていました。

実際、引退直後はこの力をどこに向けていいのかを迷いましたが、高校受験があったため、そこに力を向けました。

受験のプレッシャーや勉強は好きではなかったですが、そこで一緒に頑張る仲間や、勉強しなければならないのでたまにしか話せないのですが、その時間が非常に楽しく、「受験は終わって欲しいけどこの時間は終わらないで欲しいな」と思うこともしょっちゅうでした。

結局、終始学校生活は楽しかったです。

高校生時代

神奈川県の私立高校へ推薦で進学しました。

相変わらずテニス部に入り活動を続けていたのですが、2年生になった時に、後輩が1人も部に入って来ず、活動を行っても試合に出られないこと、女子がインターハイレベルで強すぎることをきっかけに廃部。

その時は夏だったのですが運動できないし、さらに若干くすぶっていたので、6kgほど太りました。

しかし運動をしたい思いはあったので、地元のボクシングジムへ入会しました。

小学生の頃に空手をやっていたこともあり、格闘技は嫌いではなかったことも一つの要因だと思います。

体型は無事戻っていきました(笑)また、この高校は大学付属だったのですが、高校受験をしていない僕は
人生一度きりなので、受験を経験しておきたい!」という思いから、大学受験を決意し、今の大学へ行っております。

この経験から、「頑張ることの意義や深さ、そして頑張れば頑張るほど結果は出るのだと思いました

大学時代

憧れていた東京、綺麗な街並みに胸を躍らせ、大学へ入学しました。

初めはサークルなど、新しいことばかりで楽しかったのですが、2ヶ月くらい経った時に「これを4年間を続けてなにが生まれるのだろう?」という疑問を感じ、外での活動が中心となっていきました。

活動としてはプロのシェフと提携した料理企画をしてみたり、ビジネスコンテストと言われるものに出てみたり、企画団体立ち上げて代表をしてみたり、インバウンド事業やらをやってみたり、某メガベンチャーインターンや、コンサルティング会社数社インターンしてみたり。

そしてITベンチャーでインターンを行うなどと、なんとなく「面白そうなもの」に飛び込んでいきました。

しかし、活動を振り返ってみると「浅く広くなってしまっているな。」と思いました。

そのため今年一年は『狭く、深く』を軸に活動していきたいと思います。

価値観

大切なことは「周りの人への感謝を忘れず、感謝を伝え続けること」

人生観は、「好きな人たちと共に毎日挑戦にあふれた人生を送ること」です。

このブログについて

このブログは、僕の人生の経験を記録する場としても、発信する場所としても使っていこうと思います。

特に今年は、1年間留学するということで、僕の人生の中では思い切った挑戦となるからです。

また、シリコンバレーは最先端のテクノロジーが集まる場所とも言われており、その情報を少しでも日本に発信できればいいなという思いで行っております。

信条

大事なものは「周りにいてくれる人たち」です。
家族、友達、仲間、恋人、先輩、後輩…などなど、人は人に支えられ、生きています。

小学3年生ころ、ガンダムのゲームをやっていたときに、エンディングが流れて来ました。

タイトルは、「めぐりあい」だった気がします。
その歌詞の中で、「誰も1人では生き延びられない」というのがありました。
そのとき、僕は小学3年生で10歳でした。

しかしながら「いやいや、なめんなよ。僕はもう小学3年生なんだから、1人で生きていけるに決まってるじゃんか!」と、ガキなりの変なプライドがあったのか、その歌詞に難癖をつけていました。笑

しかし、それから10年後。人は人に支えられて生きているんだな」と痛感しました。

料理を作ってくれるところ、運動できるところ、映画を見られるところも、全て人が運営しているからこそ成り立っています。

そもそも人がいなければ、そのようなお店もないし、ゲームを作る人がいなければゲームも生まれないし、なにも生まれません。

その歌詞の意味は、大人になるにつれて身に染みるものがありました

身の回りに話を移すと、家に家族がいて、ごはんが出てくる場所があって、寝る場所があって。遊んでくれる、相談に乗ってくれる、聞いたら教えてくれる友人がいて。

一緒にやっていく中でガチで議論したり、同じ方向を向くように共有しあったり、ビジョンを見せ合ったりする仲間がいて。

楽しい思い出を作ったり、これからの人生を通して、どうしていきたいか、生き方はどんな感じにしたいかなどを心から話せる恋人がいて。

そういう人たちが周りにいてくれるからこそ、自分っていう人間がいるんだなと。

例えば、自分がどうしても会ってみたい人との食事会があったとき、バイトを代わってくれる友人がいるのもそうですし、こうやって海外に行ってても向こうでソツなくやってくれるなかまがいることに、すごく恵まれているなって思うし、だからこそ感謝を伝え続けていきたいと、強く思っているのです。

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やっていきたいことって?

実際、そんなに明確ではありません。
「宇宙飛行士になりたい!」
「起業家になって、◯◯というのを作って、◯◯な人たちを救いたい!」
「フリーに暮らしたい!」
とか、そこまで具体的ではありません。

しかし根幹には
「何かに困っている人たちを好きな人たちと作ったもので救いたい」という思いはあります。

ちなみに今、関心を持っていることは医療分野です。
なぜかというと、うちの家族や親戚が、医療関係の人が多いからです。

それと、幼稚園に通っていた4歳のころに、仙台のドラッグストアでキャラクターを見ながら
なんで人は死んじゃうんだろうな。死ぬことが悲しいのであれば、無くしちゃえばいいじゃないか。僕が100歳になったころにはそういうのがなくなっているといいな」と思っていました。

というのも、連日、ニュースで、不幸な事件が流れていたり、危ない出来事があったりしていたからです。
そのため僕はニュースを見るのが嫌いでした。

なぜかって、ただ単に怖いという意味もありますが、そのような意図もしていない出来事が普段の生活の中で、いきなり不幸にあい、人生が終わってしまったり、大きな障害があってしまうからです。

本人も、周りの人もいきなり生活が変わり、悲しみに暮れ、明日の世界が真っ暗になります

その原因は、いくらでもあってしまうんだけども、僕はそれの1つとして医療で何かできるのではないかと思っています。

不幸で終わってしまった命を吹き返すことができたり、会いたい人に会える世界であったり、きっと賛否両論は極端に分かれると思いますが、僕はそういう不幸をなくすもしくは、そういうようなことがあっても、誰もが悲しまないようにする、そんなようなことをしていきたいです。

それのhow toをこれから1年間で徐々に決めていきます。

スケールが大きすぎるし、まずなにから手をつけていいのかわからないからです。

よく、「やりたいことなに?」と聞かれ、「答えなきゃ!」という焦りから答えることはありましたが、もうそれはやめようと思います。

自分の心に従い、見つかったならそれでいいし、見つからなかったらもっと経験値を貯めていこうと思っています。

そんな1年にしたいなと思い、ここにやって来ていることもあります。

まとめと挨拶

長文になってしまいましたが、ここまでお読みくださりありがとうございました。

泣き虫だった頃の僕が

遊びを通して人生が楽しくなって来て、

塾や部活や活動などで、様々な人に会っていく中で大事な人たちがたくさんできて、

価値観が変わって来て、考え方も変わって来ました。

僕の人生観では人を変えるのは人だな。と思っています。

なぜなら、今の僕は周りの人なしではいないからです。

僕は人に感謝をし続け、人生を貫き通したいと思っています。

どんなに小さなことでも「ありがとう」と言い続けます。

お前はありがとうが言えていいな。ありがとうと言われた人はやったことに対してお礼が言われるから、それでもっと喜んでくれるんだよ。」と小学2年生のころに父が言ってくれました。

その瞬間にこの言葉がもっと好きになりました。

よく考えると、父も母もありがとうをたくさん生活の中で言っていました

なのでこの言葉は人を幸せにする言葉なんだなと確信し、自分の一番好きな言葉として今後も伝え続けていきたいと思っています。

みなさん改めて、ここまで読んでくださりありがとうございます。
最後になりますが、これからもこのブログ、そして私三浦をどうぞよろしくお願いいたします。

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ABOUTこの記事をかいた人

サンフランシスコ・シリコンバレーに留学していました。 現地では人生を懸けて戦うシリコンバレーの日本人の生き方を日本にいる人たちに伝えたいということからインタビューをしていたり、学生がシリコンバレーの情報を継続的に届けているメディアなどがないと思い、その時からブログを運営し始めました。 現在は経済学部4年生をやりながら、六本木でPMをやらせてもらっています。関心分野はシェアリングエコノミーとブロックチェーンで、女性権利問題に大きな課題や憤りを感じています。優しい社会を創りたい。