とうとうこの日を迎えてしまいました。
2016年の12月に留学を決意し、2017年5月16日にカリフォルニアのサンノゼに到着しました。
そして今日、2018年5月15日に留学を終え、日本に帰国する運びとなりました。
ここでは『留学で学んだことのまとめ』を書いていきます。
目次
サンフランシスコ・シリコンバレーに留学する背景
留学を決めた理由
そもそもなぜ大学を休学してサンフランシスコ・シリコンバレーに留学に来たのか?
大学3年生の頃に先1年間の動きを考えていた時でした。当時、オーストラリア1ヶ月の留学から帰った来た直後ということで、とにかく「海外に出てみたい」思いが強く、その上で選択肢を考えていました。
選択肢として上がったのは
- 海外大学へ編入
- 海外の大学院へ行く
- 所謂プログラムで大学を経験する
など細かく分けると十数の選択肢が出てきました。もちろん、日本にいる選択肢もあったのですが、その時思ったのが「日本にいても1年後の未来が見えるな」ということでした。
そうであるならば、英語もできない、知り合いもいない、プログラミングなどの専門スキルもないけれど、何にも知らない場所に挑戦してみたくて留学を決意しました。
実は当ブログキャラクターは高校1年生の時に考えた「しなちくん」だったのですが辞めました。News Picksで2294Picksを頂いた時などを振り返ると変えて良かったと思いました。
サンフランシスコ・シリコンバレーを選んだ理由
目指す社会を実現する手段として起業は通る道と思っています。
ニュースや記事などでよく聞く「シリコンバレー」を誰かが書いた情報でなく、自分ごととして体験したいと思ったからです。世界一スタートアップ文化が栄えている土地はどのようなものなのだろうと。
また、今から世界を知っておくことは今後の人生の基準を総上げするものになると思っていました。
現地の企業で働くことにより、サンフランシスコ・シリコンバレーのビジネス情勢がどうなっているのかを学び、近い将来に活かしたいという思いがありました。
何1つできることがない現実
僕の存在する意味は何だ
何も武器がないままシリコンバレーに飛び込みました。
来た時は本当に右も左もわからず不安でいっぱいでした。しかし、1年間という時間で母国でない場所で挑戦すると決めたからには何かをせねばと必死で、ミートアップに参加したり、テクノロジー関連イベントに足を運んでみたりしました。
今では慣れたがイベントには必ず豪勢なフリーフードが出ることに驚いていた時期。
そしてサンフランシスコのテックハウスに引っ越しました。
エンジニアと起業家しか住んでいない家を指します。僕はそこに住んで学びを吸収したいと思っていました。
しかし、そもそも言語の壁がかなり高く1から10まで内容を理解することは困難を極め、またハウスメイトの経験などを聞くうちに感じるのは自分の無力さだけでした。
「僕には何ができるんだろう」「何を自分の強みとして戦っていこうか」そして終まいには「自分はなぜ生きているのだろう」とも考え始めました。
そんな時に書いた記事。
彼らはインドやパキスタン、中国やフランスなど母国を出て、アメリカで修士(コンピューターサイエンスが大多数でした)を取得し、OPTなどの期間で仕事を獲得し働いていたり。
また、アメリカの学部を出た後、起業環境としてサンフランシスコに移住してきていたり。
そういう人と毎日会話しているとなおさら「果たして1年後。彼らに少しでも語れるものが自分にはあるだろうか」と焦りを感じ続け「あと309日後に帰国か」のように毎晩寝る前に帰国までのカウントダウンをしていました。
今見るとものすごく懐かしい。当時より英語も少しはマシになっている、はず。
過去の感情を100%再現することはできないと言われますが、100%でなくても似たものを思い出すことは容易です。でもそれが、自分を動かす原動力になっているのかなと思います。
日本にいたら絶対に味わえなかった感情でした。
目指す先はどこ?何をする?自分は何になりたいの?
「何かやらなきゃ」
焦燥感に追われれば追われるほど自分がそもそも何を目指しているのかを見失ってしまう。するともっともっと混乱してしまい自分が誰なのかさえわからなくなってしまいます。
落ち着かせるために手っ取り早くスキルをつけなければ!そう思って気が付くとハウスメイトの真似をしてプログラミングを学んでいました。
手始めにHTMLやCSSを勉強し、その後はJava Scriptを学習していました。
HTML & CSSはProgate、JSはドットインストールで学習していました。
しかしふと我に返って思ったことがあります。
「プログラミングを学ぶことはサンフランシスコでなくてもできるのでは?」ということ。
「サンフランシスコでしかできないこと」に時間を使うべきでないかと思いました。
留学当初に抱いていた思いを忘れ、自宅にこもりパソコンを目の前に勉強していました。しかしそれは日本でもできます。
外に出てみよう。そして、サンフランシスコだからこそできることをやろう。混乱から我に返り、地道にでもできることをしようと思えたのが7月頃でした。
イベントで会った友人にDropboxサンフランシスコに案内してもらった時。
それでも僕は動き回ることしかできない
VC100社にアタック
スキルもなく英語も情報もない一匹の学生がどう動けばいいのかーー。
当時は強力な情報源も知らなければ、そもそもどう調べるのが良い方法なのかを見極めることもできませんでした。
しかし、サンフランシスコでスタートアップや資金がどう動いているのかを直接見てみたいと思う自分は変わらずにいました。
好奇心はあっても方法が全くわかりませんでしたので、自分が思いつく限りの手段でがむしゃらにまずは調べることから始めました。
調べるうちに、企業のオープンポジションはほぼエンジニアで占められていることが分かりました。
しかし作る側以外にも何かスタートアップを直に学べる方法はあるはずと、ない知恵を絞り出して思いついたのが、VCの側面からであればそれらを学ぶことができるかもしれないということ。
そうと決まったらとにかく調べて情報という情報をひたすら手に入れるしかありません。
Googleで検索をし続けた結果、Angel Listや内藤氏の『シリコンバレーによろしく』を発見し、VC(ベンチャーキャピタル)100社を参考にまとめ、ベイエリアに拠点を置くVCに絞り調査をすると46社が抽出されました。
VC100社作成リストの一部。
その企業全てにレジュメを添え、下手くそな英語でメールを送り続けました。その後も、調べるための手段が徐々に増えてきたので、興味がある会社に連続的に送り続けていました。
1社くらい返事をくれるところがあるのではと期待していましたが、返信はもちろんどこからもなかったです。そこでもアメリカの厳しさを知ることになりました。
「アメリカの企業は即戦力となる人材しか取らない」よく聞いていたのですが実際に体験してみるとまさしくそうだなと痛感しました。
さらに当時はアメリカでジョブを獲得するのにもっとも重要なSNSであるLinkedinもまともに作っていませんでした。
そして何より「君には何ができる?」この問いをされると何も答えられない時点でもう負けていると。
でも、とにかく動き回るしかない。今の僕にはそれしかできない。調べては送って、調べては送ってという行動を繰り返していました。
5月に渡米し、8月までの3ヶ月弱そういった活動をイベントに行きながら、学校に行きながら続けていました。
当時は不安で押しつぶされそうでした。
留学を決め、渡米。そしてサンフランシスコならではの経験を積むことが僕にとっての『留学の意義』でした。
今の状態はどうか。何にも進んでいない。このままもし何も手立てがなかったら。毎日が不安でした。
でも現実は、自分ができる小さなことをやり続けるしかない。無理やりにでも前を向いて歩くしかないなと思い続けていました。
留学前にこういった情報があればと思いスタートアップの調べ方に関する記事を書きました。
アメリカで初めて1つ結果を出せた
何社も何社も出し続けた結果、1社から面接のお話が。今までやっていたことは無駄でなかったのだなと感じました。
そこで数ヶ月お世話になることがあったのですが、この経験がなかったら今の僕はないなと確信しています。
本当にあの機会を下さったことには感謝が止みません。一生ものの経験でした。
シリコンバレーで挑戦する日本人へのインタビュー活動を始める
シリコンバレーで働く日本人はみんなかっこいい
貴重な機会を与えてくださった会社の後。10月から「シリコンバレーで働く日本人のインタビュー記事」を作っていました。
5ヶ月近く留学していると、同じ日本人としてこの土地に生活を置き、母国でなくビザも言語も、そして働く難易度が高いサンフランシスコやシリコンバレーで人生を懸けて戦っている人たちがいることに気が付いたんです。
その方々は本当にかっこよく、この事実を日本に届けたいなと本気で思いました。
そして見てくれた人が1人でも「僕/私にもできる!」と活力的になり、日本からどんどん頑張る人が増えればいいなという思いでこの活動をやらせて頂きました。
累計で20人の方にご協力頂きました。お忙しい中お話を聞かせて下さり、編集レビューを下さったり、アドバイスを下さったりと、本当に頭が上がりません。
僕は何も提供できていないためにいつも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
せめてインタビューに懸ける思いだけはと思い、説明をさせて頂いておりましたが、結局僕はただの編集野郎で、お話、つまりコンテンツや知識を与えてくださるのはご協力下さっている先輩方です
最初から最後までお世話になりました。
この場をお借りして、ご協力下さった方に感謝致します。本当にありがとうございました。
インタビュー活動から見えた自分
記事を書いている中であるものが見えてきました。それは「僕はまだ何かに夢中になれるんだ」ということです。
幼稚園児、小学生、中学生の頃はそれぞれ外遊び、カードゲーム、テレビゲーム、虫取り、そして部活のソフトテニスに夢中になり、時間を忘れるような毎日を過ごしていました。
しかし高校、大学に上がるにつれ、「一体何に力を入れればいいんだ?」という思いが込み上げてきたのも事実です。
もしかしたら昔のように熱中できるものは見つからないのかもしれない。熱狂はこんなに早く終わるのかと思った時期もありました。
大学3年間で、多くの活動はしてはいましたが、『夢中』という言葉を当てはめるまで思いの惹かれるものはありませんでした。
1年生の頃にビジネスコンテストで最優秀賞を頂いた時。
「大学で頑張ったこと何?」とよく聞かれます。多くをやってきたので、話せることはたくさんあるけれど、心がこもらないまま言葉だけを相手に伝えているだけの自分につまらなさを感じ、また悔しく思っていました。
頑張ることとは一体なんなのだろう。『頑張る』という言葉の意味自体が分からなくなってきてもいました。
しかし、インタビューをやっていくにつれ、段々と理解できてきました。
インタビューもメディアも記事を書くのも写真を撮ることも誰にでも思いつき、誰にでもできることと正直思います。
でも「何をやっているんですか」と聞かれる時は大学時代で初めて誇りを持って、「インタビュー活動をしています」と答えられました。
例え1記事30時間かかり、全て1人でオペレーションして、時々データが消えて始めからやり直しの時も屈せず続けられたのも、「とにかく楽しくて好きだったから」だと確信を持って言えます。
スタンフォード大学のd.shoolにて。「それをするためのたった1つの方法はそれをやることだ」
それに、「現地で働く方々のお話を120%の力で届けたい!」や「少しでも多くの方に見て欲しい!」という本気の思いもあったからだと思います。
この経験から「まだ僕は何かに夢中になれる人間なんだな」と気が付きました。
この気持ちが注げるものにこれから出会えば、それが僕の人生を懸けるべきものであるのだなと。
興味があることを突き詰める
「強い人」には「好きなこと」がある
インタビューを続けていき、年明け頃から何となく気づき始めたことがあります。
それは自分を持っている人は必ず何か好きなことや夢中になっているものがあることです。
例えばインタビューで取り上させて頂いた方々は、成し遂げたいことや興味あることがあるから起業していたり現地で働いていたりします。
そこでふと足を止めて自分を見つめ返してみて思ったことは「僕に専門スキルや語れる知識はあるのか」ということでした。
振り出しに戻った感覚に襲われそうになりましたが、ブログやインタビューや企業の経験をした自分と6月当初の自分はまた違ったので全く滅入ることはなく、今度は冷静に考えることができました。
気が付けば僕はシェアリングエコノミーの勉強を始めていました。
アウトプットする機会を設定し目標を定める
知識をつけるからには目標を定めることが重要と思いました。
「勉強しています」「詳しいです」ではなく、使えるようにならなければならない。
そのため、シェアリングエコノミーの概念を多くの論文や本などで吸収したのちに資料を作ろうと考えました。そして1つのアピールポイントにするためにも英語で取り組もうと決意しました。
それが「Sharing Economy Startups 36」です。
作る過程においても時間を忘れ熱中しており、ここでも「夢中になる」感覚を得られた気がしています。好きなことをすることは人間に膨大な力を与えるなと思いました。
他者のフィードバックから新たな視点を得る
3月上旬にシリコンバレーで活動している学生を集めてイベントを行う機会がありました。
ルームメイトの創太を中心に、優作、友玖といった学生に加え、九州大学の松尾さんを監修として集まり、合計12人ほどで行いました。
内容は各自持ち時間40分で勉強分野を発表するというもの。作成資料はこちら
また、4月の末にはスタンフォード大学にて再び発表の機会を頂け、自分になかった視点をプレゼンの時間で短く学ぶことができるのもメリットと感じました。
双方とも40分のプレゼン時間と一見長いものと思いましたが、やってみると資料の1/4しか話せなかったりと、予想と大きく異なることやプレゼンの仕方の勉強不足だなと知識面以外も体系的に学ぶことができました。
Thanks, Stanford!! Presantation is here.
何をやり始めるにも「遅い」は存在しない
1月頃からシェアリングエコノミーを勉強し始めました。
振り返るとプログラミングを勉強する際には「これから勉強して間に合いますかね」という質問をエンジニアの方に質問していた自分がいたことを思い出していました。
しかしそれは愚問とも気が付きました。
仕組みは簡単で、やりたかったら何も考えず取り組み始めるからです。
本気でやりたい人は「スキルになるかな」「間に合うかな」と考える事はほぼしないのでないかと思います。
シェアリングエコノミーに関しては、雑念は一切なく、スキルになるかとも考えずに「興味があるから勉強する」これがスタートでした。
やりたかったらまずはやる。そして、向いているかを経験から考察する。そうして本当のやりたいことを見つけていくのではないか。
何を始めるにも「遅い」はないのだなと思いました。
『シェアリングエコノミー×ブロックチェーン』への興味
『興味』を『行動』にする
シェアリングエコノミーに興味を持ち、触れていくにつれ『ブロックチェーン』と『シェアリングエコノミー』の可能性にだんだんと惹かれていきました。
もっと知りたいと思った時に、知識でなく形として学びたいと思いました。そしてどちらかというと僕の中ではブロックチェーンの方が不透明性が高かったので関連の会社に行きたいと考えました。
作成資料より
そして数社にレジュメを出し始めました。5月のと合わせると450社以上になっていました。
しかしやる際に「時間を使って結果が出なかったらどうしよう」とも思うのでなく「そもそも何も始めなかったら何も起こらない」のでやろうと決めました。
結果4社から連絡を頂き、現在はブロックチェーン×インフルエンサー事業を手がける会社にジョインしています。
シードラウンドのスタートアップから学ぶこと
ブロックチェーンも興味がありますが、サンフランシスコという世界の中でも1番と言われるスタートアップ激戦地でどう戦っているのかを見たかったのがあります。
注目されなかったら終了
これまで5社を立ち上げ、数社エグジットしておりMBA & エンジニアのCEO、スタンフォードのコンピューターサイエンス修士課程修了後、現在はCTOとして働く彼らと会話する中で学べたのは「どこからも注目されなかったらどんなに事業が良くても終了」というものでした。
Pre-Seedラウンドを$500K調達し終え、Seedラウンドの資金調達先を探しているタイミングで僕はジョインしました。
ブロックチェーンと言ってもサンフランシスコにはブロックチェーンと名乗る会社は山ほどあります。そしてまた投資家やVCも多く存在します。
その中でどのように自分たちがプレゼンスを出していくのか、なぜ彼らが出資するのか。どういったビジョンを掲げ活動しているのか。全てを考慮された上でやっと調達ができます。
その会社の事業自体は僕は好きなのですが、資金面だけを切り取り見た時には、2,3ヶ月以内に出資が行われないと沈んでしまう状況でした。
ピリピリした雰囲気がまさにスタートアップだなと感じ、感覚的な勉強をさせていただくことができました。
投資家がほぼ全ての領域に揃っている
シードラウンドを調達するにあたり、必要なのはVCや投資家の情報です。
「ブロックチェーン領域に投資した経験があるファンド/投資家リストの作成」をやっていた頃があります。
作業の過程で一番驚いたのが、ブロックチェーンなどの最新の技術でも(日本はマス的には17年の後半からやっと盛り上がった気がします)既に投資実績や専用のファンドなどが立てられていることです。
リストの一部。
結果1000社(人)超えるブロックチェーン領域への投資を行っていた/いる人たちがあることを知り、サンフランシスコの起業環境ならではだなと感じました。
世界で戦いたい
スタートアップにジョインして「どうせやるなら世界でやりたい」気持ちが出てきました。
母国の日本だけでなく、多くの人たちを自分たちが作るもので喜ばせることができたら幸せですし、何より自分が多くの人と触れ合い、知らないことを知っていきたいです。
そのためには大学卒業も必要ですが、「夢を掲げる。夢を目標に。目標を予定に。そして予定を実行する」ことからですので、まずはアメリカに帰ってくる予定を立てることが最優先と思います。
働く上で様々なことを学び取らせて頂きました。
1年間の総まとめ&感じたこと
世界は知らないことだらけだ
人生で初めての1年間の海外生活でした。
1年は長いものと思って過ごしていましたが経ってみるとものすごく短く思います。この1年で、多くの人に会い、様々なことを学び、価値観や文化にも触れました。
それらは長くいてこそ、そして直接触れてこそ感じ取ることができるものと確信しています。
今まで21年間日本におり、5年間は仙台、16年間は横浜に住んでおり、新しいものに触れているつもりでした。
しかし国を変えてアメリカに行き、サンフランシスコの中で揉まれていると日本や横浜とは全く異なる「当たり前」が存在しています。
例えば東京でホームレスやドラッグを見たり嗅いだりすることは稀だと思いますが、サンフランシスコのダウンタウンでは毎日です。
また、電車やバスが時間通り来ないのは当たり前、店員さんが日本よりも優しくなかったりすることも経験することになります。
でも人生の始点からそこで暮らしている人たちからすると驚く要素は一切ありません。同じように食事をして、仕事をして、遊んでと生活を送っています。
同じ地球上に自分が知らない世界が転がっている。だからこそ新たを知るのは面白いなと思います。
新しいことを通して思いや経験が積み重なり、それが夢を描いたり、興味を抱き行動になり、いずれは叶える人が出てくる、そのための大事な要素だなと思います。
人に支えられて生きていること
一番伝えたいことです。
留学当初は孤独感に苛まれ、チャンスの掴み方も1つも分からず、焦った結果詐欺にも遭い、何故こんな目に遭わなければならないんだ!という思いを何度もしました。
でも、今では全て笑い話になるのは周りに支えてくれる方々がいるからです。
海外に留学してみたい気持ちを後押しし、応援してくれた家族。
「1年会えなくなるから会っておこうぜ」と軽く言いつつもいざ会ったら本気で応援してくれる友人たち。
お忙しい中で、しかも僕から与えられるものは皆無に等しいけれどもインタビューにご協力してくださった方々。
人生相談や僕のくだらない話に乗って下さったり、ご飯に一緒に付き合ってくれる方々。
この場所で、同年代としていい刺激を受けさせてくれた友人たち。
ルームメイトとして一緒に暮らしてくれたみんな。(特筆で、渡辺創太と「おれら受験生かよ…」と言いながらも一緒に夜まで作業や勉強ができたことはとても楽しく、身近に同じようなことを考える奴がいるのはいいなと思えました)
僕らのワークスペース
帰国が近づくにつれ、お世話になった方々に挨拶に回っていました。
別れ際に「頑張ってね」と言葉をかけてくれます。その言葉が何回心に染みたかは数え切れません。
この1年、多くの人に支えられ、教えられ、構って頂きました。この感謝は言葉には表し切れないです。
そうとなったら言葉でなく僕のこれからの姿を見せて恩を返すのが一番だと思っています。それが応援下さる方々へ見せるべきものかなと勝手に考えています。
改めて、僕との時間を割いて下さり本当にありがとうございました。
(全ての方とお会いすることができず寂しくいますので、メッセージにはなってしまいますがご挨拶をさせて下さい。)
『人生は短い』ということ
1年は長い。
そう思っていたにも関わらず一瞬で過ぎていきました。
渡米前をまだ鮮明に覚えていますし、やってきたことや迷い、混乱、苦労した感情や経験も思い出すことができます。
また、人生で一番短い1年でもありました。
22歳の僕は僕史上で最年長ですので、ジャネーの理論に照らすとたしかに短く感じるのは納得いくものではあるかもしれません。
しかし、ほぼ毎日新しいことをしたり人に会ったり体験をしたりしていたのを考慮すると、異常に早かったなと感じています。
このペースで人生が過ぎていくと思った時、人生あっという間に終わってしまうのでないか。
「またね」と言って別れた相手に人生の中であと何回会えるのだろう。
もしかしたら毎日かもしれない。もしかしたら数えきれるほどしかないのかもしれない。もしかしたら、その時言った「またね」が人生で最後なのかもしれない。
そう考えると寂しく、儚い。でもだからこそ、1回1回好きな人たちに会う時間を大事にしようと思い始めました。
それが人生の意義で、人と再会できる喜びだと思うんです。
さいごに
ここまでお読み下さりありがとうございました。
最後に考えるのは、僕はこの1年で何ができたのだろうということです。
できたこともあるけど、結果としてできなかったことの方が圧倒的に多いです。また、今思うとビビって行動できなかったものを全てできていたらなと反省する気持ちの方が正直強いです。
でも思ったところで過去は変えられぬもので、ここまでの生き様が結果。
「できたこと」に自信を持ち、「できなかったこと」はなぜできなかったのかの原因を発掘し、これからの人生で大きく改善するべきと思います。
この1年という時間を通して出会った方々への感謝、そしてこの地で学んだことを忘れずに、これから創る未来に向けて歩みを進めて参ります。
2018/5/15 三浦史也