Koichiro Narita 氏: 小学生の頃に両親の転勤により、3年間フィリピンにて生活。再び日本へ戻り、ICU高校へ入学後、ICU(国際基督教大学)へ進学。大学在学中にはコンピューターサイエンスとビジネスを専攻。大学3年次の交換留学にてペンシルバニア大学へ1年間留学。その後、より一層コンピューターサイエンスを勉強したいと考え、大学卒業後はカーネギーメロン大学大学院へ入学。現在はPinterestでグロースチームに所属し、Senior Software Engineer, Tech Leadとして活躍されている。
交換留学までの道のり
ーーICUは海外色が特徴である大学と捉えていますが、そこへ入学した理由はフィリピンに在住していた経験が大きそうですね
そうですね。高校からICU(国際基督教大学)でしたが、選んだ理由は両親の転勤でフィリピンで過ごしていた経験が大きいですね。
ICUは帰国子女枠のの入試も実施しているため、その枠で試験を受け、幸い入学がすることができました。
大学は内部進学の形でそのまま上がったことにより、大学もICUでした。
ーーICUは文系(リベラルアーツ)が強いイメージがありますが、その中でもCS(コンピューターサイエンス)を取られていますね
そうですね。高校生の頃から数学が好きで、数学関係の勉強をしたいとはぼんやりと考えていました。
当時、ICUは3年次に専攻を決めれば良かったため、1,2年次の時は好きな授業を取れることができました。
その時に物理や数学、そして経済、また、明らかに自分は興味がなかった音楽の授業まで幅広く履修してみました。それにより、それらが自分にしっくりこないなというのが明らかになりました。
そのため、ICUの履修制度は良かったなと思っています。
それから、その時期にちょうどSNSが生活に馴染み始めていたのもあり、それが面白そうだなと感じました。それがきっかけで、情報科学、いわゆるCS(コンピューターサイエンス)を専攻することに決めました。
最初の頃はあまり理解は進みませんでしたが、やっていくうちにどんどんはまっていきました。
一番の決め手だったのはFacebookを題材にしたソーシャルネットワークという映画でした。それに刺激を受け、また焦りを感じました。
「ザッカーバーグは大学1年生で既にあんなものを作れるのに、自分は何もできないな」ということを感じたからです。
それがまたモチベーションとなり、自分も何かができるようになりたいと思えました。単純に楽しかった事、そして映画から得た刺激や焦りがきっかけでCSを専攻し、夢中になり始めました。
『ソーシャル・ネットワーク』(原題: The Social Network)は、2010年のアメリカ映画。SNSサイトのFacebookを創設したマーク・ザッカーバーグらを描いた映画である。Wikipediaより引用
ーーCSの授業はどのような感じだったのですか
CSは学年に一桁の人数ほどしか専攻している人がいなかったんですよ(笑)そのくらい文系と理系の割合が大きく異なる学校なんですよね。
そのため、少し寂しい思いがあり、文系の授業も取ろうということで第2の専攻でビジネスを履修し、ダブルメジャーという形で、文系の友達を作りながら、また自分自身、ビジネスにも興味があったためそれらを同時に勉強していました。
交換留学で見た海外の学生の姿勢
ーー大学3年生の頃にペンシルバニア大学へ留学していますが、入学当初から留学を視野に入れていたのですか
入学当初はそんなに意識していませんでした。しかし、入学後にそれこそソーシャルネットワークやSNSが流行るスピードなどに刺激を受け始め、そこから交換留学を考え始めたんです。
加えて、ICUは海外に強い大学というイメージを持たれる通り、海外の有名大学との連携もあったため、「この機会に行きたい」と思ったのです。
交換留学で良いといわれる大学へ留学するにはGPAが必要なのですが、日本では就職の際にGPAが必要になるわけでもなく、比較的気にしている人はそこまで多くないというのが当時の状況でした。
そのため、少しでも成績を気にして努力をすれば、いい成績が取れたため、勉強に力を入れていましたね。結果、ペンシルバニア大学というところに交換留学をすることができました。
ーー実際行ってみて何を感じましたか
CSに関していうと、学生の本気度が全然違うなと感じました。ICUが文系が強い大学というのもあり、大学全体の力の入れ具合は文系科目に集中していたというだけなのかもしれません。
しかし、例えばICUの授業と同じタイトルの授業をペンシルバニア大学で取ったとしても全然内容や難易度が異なりました。
プロジェクトの自体の量も100倍以上違う感覚でした。
ICUの授業ですと、一夜漬けで頑張ればなんとかキャッチアップができるといったような感じでしたが、ペンシルバニア大学の授業は本当に厳しく難しく、授業に最初から出席し、復習を重ねたとしてもかなり大変だったのを覚えています。
それはどっちの大学の学生が頭がいいとか、優秀と言いたいわけでなく、根本的に学生の本気度が違うなと思ったことが一番の印象です。
頭の良さは実際関係ないと思います。もちろん、中には突出している人もいますが、おそらく気にかけるべきはそこではなくみんなが頑張っているという環境、そしてそういう人たちの割合が圧倒的に多いことだと思います。
競争環境が激しい現実に刺激を受け、僕も頑張らなければいけないなと、気が引き締まった思いをしていましたね。
カーネギーメロン大学大学院へ入学しようと思ったきっかけと決断
ーーICUを卒業した後、就職ではなく院へ進んでいますよね。そのきっかけはやはり交換留学の経験なのでしょうか
そうですね。留学中にCSの勉強は一生懸命したつもりだったのですが、それでも全くCSを理解できていないなと思ったんです。
だからこそ、素直に「このままではやばいな」と感じ、大学院で学び直したいという思いが芽生えました。
そう思い、交換留学している頃からアメリカの大学院で学ぶと決めていました。
だけども、他のオプションも残しておきたかったため、ボストンで開催されるキャリアフォーラムにも足を運んでみました。
そこでインターンシップなど、いくつかオファーも頂いたのですが、日本で就職したいという気持ちより、大学院へ行きたいという気持ちをむしろ再確認し、より一層大学院を志すようになりました。
そこからは大学院の受験に向けて頑張ろうと思い、残っている時間と力をひたすらその方向に傾けました。
日本でもペンシルバニア大学でもいい成績を残そうと思い、勉強に励みました。僕はまた、ダブルメジャーでしたので留学先でも変わらずビジネス科目も履修していました。
CSの勉強を中心にしながらも、ビジネス科目の勉強も怠らず、かつ勉強するだけではなくてより良い成績を取るために1つ1つのゴールも定めて勉強していた覚えがあります。
また、もちろん遊びも全力でやるなど、やれることは全て全力でやってやろうと思って動いていました。
学校の授業だけでなく、自分でCSの勉強もしましたし、インターンや研究など他の活動にも従事し、できることには全て飛び込んでいました(笑)
カーネギーメロン大学にある建物。Gates Hilman Centerといい、コンピューターサイエンスを専攻する学生のための研究所になっている。
ーー僕も痛感しているのですが、結果を出したければ努力をしなければなりませんが、継続させることが難しいのは多くの壁があるからだと思います。Koichiroさんは継続するにあたって何をモチベーションとしていたのでしょうか
自分で明確に気が付いたわけではないですが、交換留学中、少しばかり劣等感を感じていた気がします。
周りはアイビーリーグの生徒たちで毎日切磋琢磨し、成長しているわけですが、僕は交換留学生であくまでもゲストとして呼ばれているような感覚があったんです。それが少し悔しかったですね。
そこで、正規の学生と話せば話すほど、この人たちみたいにならないといけないなと思ってきたんです。
それからは、もはや努力をしないとその人たちとこれから対等にはやっていけないなと思ったので、努力はし続けなければならないなと思い、それからは本気のスイッチが入りましたね。
ーー日本にいたら入らなかったスイッチなのでしょうか
正直なところ日本ではそこまでの刺激は受けられなかったなと思います。
例えばペンシルバニア大学ですと、世界的に有名なFacebookやGoogleなどでインターン経験がある生徒が隣に座っていたりするんです。
日本にいる時は雲の上の存在であり、遠い世界だと思っていたにも関わらず、海外へ出てみると、隣に既にそういった企業でインターン経験がある人がいるというような。その現実に刺激を受けました。
環境に釣り上げられたと思っています。
ーー大学院に入る際も苦労したのではないでしょうか
GREという、いわゆるテストのようなものを受けないと入学ができないんです。
僕は特に東大や慶應などといった有名大学に通っていたわけではなかったため、他のところで何か光るものがないといけないなと思い、インターンとして働いてみたり、高い成績も保持できるよう勉強もしていましたし、自分自身で興味のある勉強もしてました。
また、自分でアプリやウェブサイトも作成するなど、できることや必要なことには全て満遍なく手を出していました。
GRE(ジーアールイー、Graduate Record Examination)は、教育試験サービス(ETS)が実施する、アメリカ合衆国やカナダの大学院へ進学するのに必要な共通試験である。
Wikipediaより出典
ーー目指すべきもの、やることが多い中で当時はどういった生活を送られていたのですか
僕は睡眠を削るタイプでした(笑)
交換留学に行く前はGPAも取らなきゃいけませんし、インターンもしていましたし、自分でアプリも作っていたため無理やり時間を作るしかなかったんです。
日中は大学へ行き、授業を受けて、授業がない日はインターンをして、夜中はみっちりアプリ製作や自分の勉強をしていました。
カーネギーメロン大学大学院へ入学し感じたこと
ーーカーネギーメロンとペンシルバニア、異なる2つの世界屈指の大学へ行ってみて、そこでも何か違いみたいなものはあったのでしょうか
全然違いました。第1志望がカーネギーメロン大学だったのですが、幸運なことに受かることができたのです。
一発目で得た結果がカーネギーメロン大学の合格通知だったため、その時点で大学院へ第1志望の大学院へ行こうと決めました。それはもう、めちゃくちゃ嬉しかったですよ(笑)
それからは勉強からの反動もあり、旅行や遊びなどを始めました(笑)
でも実は、内心ずっと怖かったんです。
カーネギーメロン大学は世界の大学の中でもCS学部の難易度が高いといわれており、そのレベルについていけないのではないかと思っていたからです。
1年間はペンシルバニア大学でもCSの勉強をしてきましたが、そことは比べ物にならないほど大変というのを聞いていたため、入学するまで不安がつきまといました。
ただ、入学してみるとまだ努力で補えない範囲ではないなという所感を覚えました。それも環境なのですが、周りの生徒がみんな頑張っているから自分も頑張らないとダメだなと思ったのです。
実際、ひたむきに努力を続けていくうちにだんだんと、カバーできないレベルではないなと思い始めました。
色々な人に助けてもらいながら、自分でもついていくべき努力を重ねました。
ーーその努力は並じゃない苦労を伴ったと思います。当時から、アメリカで働くことなど先々のことは考えていたのですか
当時は周りについていくことだけに必死でしたので、先々のことよりか目の前のことに気を張っていました(笑)
また、本音をいうと、最初はアメリカで働こうと真剣には考えていませんでした。
とりあえず初めはCSの勉強を全力でやってみたいと思っていて、やっていくうちに、もしもっとやりたくなったらPh. D.(博士号)に進んでもいいと思っていましたし、同時に日本で就職してもいいなと考えていました。
最初はそのような、結構オープンな考えから出発しました。
ただ、当時もアメリカでもし働けたら最高だなとは思っていましたが反面、やっぱり難しいだろうなと思う自分もいました。
しかし、大学院で勉強していくうちに、だんだんと現実的になってきました。全力で目指せばできるのではないかと思い始めたんです。
ーー最初は大枠で捉えて、全力を尽くして徐々に最適な選択肢を選ばれている印象を受けます
そうかもしれません。その場で決めて行き、それにつれていい選択肢だけが残っていく感じでした。
その場に全力を尽くすことで初めて見えるものがあると思っています。僕の場合でいうと、ICUで頑張っていたら交換留学へ行けて、ペンシルバニア大学で頑張ったらカーネギーメロン大学にいたということです。
それから大学院で周りに追いつくために勉強し、気が付いたら、といった感じで現在はPinterestで働いています。