アメリカの名門である『スタンフォード大学』にて医師を勤めるTomomi氏に突撃インタビュー。
彼女が医師を目指した理由、彼女のキャリアから感じる医療業界について、そしてこれから成し遂げていきたいことについて語っていただきました。
Tomomi 氏: 京都大学医学部卒業後、岡山県の倉敷中央病院にて後期研修医、京都市立病院にて医員を経て、京都大学大学院放射線科へ入り、博士課程を取得。のち渡米し、現在はスタンフォード大学にて研究に従事。
目次
医者を目指すまで
—— 医師になろうと思い始めたきっかけについて教えてください
私が小さい頃に母親が病気したことがあったことと、私としては何か人のために役に立つことをしたいなと思っていたからです。
また、子供には自立した職業に就いて欲しいという家の方針のようなものがあり、そこから考えた時に資格制度のはっきりした医者か弁護士のどちらかがいいのではないかと考えました。
しかし、弁護士の職業内容を調べていると、私には少し難しい職業のように感じられたのです。
医者であれば命を救うことにより人の役に立て、何をしても善にしか働かないなと思ったんですよね。
それから医者を志すようになりました。
—— いつ頃から思いが固まり始めたのですか
小学校5年生くらいです。
でもその頃は少し漠然としていて、実際に志望校を決めたのは中3から高1の頃でした。
—— 小学校5年生であるとほとんど世間のことを知らない状態だったと思います。ある意味色んなものになれる可能性があると思うのですが、その中でどう医者になるという一貫したモチベーションを保たれていたのですか
医者になりたいと思った気持ちがいつの間にか本気になっていたのかなと思います。
でもたしかに何が出てくるか分からなかったからこそ、塾に通い詰めていましたね。
わからない代わりに、いつ何が出てきてもいいように勉強だけは続けて、「勉強しておけば何にでもなれるわ」と思っていました。
あとは、医者には定年がないというのも魅力的だなと感じていたのでそれもしかしたらモチベーションの一つになっていたのかもしれません。
医者を目指し、京都大学医学部へ入学
—— 医学部の生活は勉強が大変なイメージがありますが、Tomomiさんはどう過ごされていましたか
浪人を経て入学していることもあり、やっと受験から解放された環境でしたので初めの方は遊びを大事にしていました(笑)
その時は塾ではなく他の場所で自由に遊べた久しぶりの経験でしたね。
でも京大生の怖いところは、普段遊んではいるのですが、試験が近くなってくるとみんなものすごく勉強をするんです。
「おれ勉強してへんけど」と言いながらもしっかりやっているんですよ(笑)
勉強の内容は、4年生までは細胞のメカニズムや、薬の効き方などの基礎寄りの勉強をしていました。
しかし4年生から進級するタイミングで共通試験のようなものがあり、それに受からないと進級が許されないんです。
なので私もそういう時は本気で勉強をしていました。
—— 医学部の人は卒業後に全員医者になられるのですか
だいたいの人がそうだと思います。
ただ、数%は医者にならずに研究者として生きていくことを決めている人もいました。
でももちろん卒業して医師免許を取得してからそれを決めていましたね。さすがに6年間費やすので医師免許を取らない人はほとんどいませんでした。
ただごく稀には、研究者でも医者でもなく外資系企業に勤める人もいました。
以前インタビューさせた頂いた、門脇さんも東大医学部のちエンジニアとして勤められている。
—— 京大を出てお医者さんとして勤められたと思うのですが、担当の科を選ぶ際はどのようにして決められたのですか
内科や外科というと、いかにもお医者さんという感じがして、かっこいいイメージじゃないですか。
しかし私は自分自身がマイナーなキャラクターだなという自覚があったので、受ける人が少なめな科を中心に見ていました(笑)
見ていたのは麻酔科や眼科、放射線科などですね。
最終的には放射線科を選んだのですが、メカニック好きなこともあり、いざ現場に行くと機械がたくさんあるのを見てワクワクしたのを覚えています。
また、他の科は患者さんと接する機会が多いのですが、放射線科は画像を見る仕事が中心になるため、自分の待って欲しいタイミングで仕事を中断できたり、また再開できるというのも自分に合っているなと思ったのです。
ーーたしか卒業の際に医局歓迎会のようなものがあるのでしたっけ
そうです。科を決める時って、学生が6年生の時に各科から勧誘されるんですよ。
大学の医局は人が欲しいため、新規卒業生を勧誘するんです。その時に偶然放射線科に誘ってもらった学会がありました。
淡路島のリゾートホテルで、リラックスしたムードの中、画像がいかに面白いのかという説明をたくさんしてくれたのです。
それを聞いているうちに「これは面白いな」と感じ始めました。そしてその場で興味ありますと言って申し出ました。
すると幸運なことに「12月にシカゴで学会があるから来てみる?」というお誘いを頂け、行きたいと思っていたため、即答で「参加させてください」と返事をしました。
でも6年生の12月といったら怒涛の卒業試験のシーズンです。
国家試験が翌年の2月にあるのですが、各科全部(24科目あるのだそう)の卒業試験に通らないとそもそも大学を卒業できないんですよね。
必死で試験期間を終えた直後にその学会に連れて行ってもらったのですが、実はそれは放射線科の誇る医学界で世界最大の学会でした。
アメリカに行ったのは当時2回目だったのですが、それはそれはスケールが大きくて衝撃を受けました。絶対にこんな世界で働いてみたい!と思いましたね。
そこで放射線科に入りたいという思いが確信に変わりました。
念願の海外 ~スタンフォード大学へ~
ーーそもそも海外には興味や関心などがお有りだったのですか
そうですね。
中学の時に英語部に入っており、そこでペンバルの紹介活動をしていたのです。
当時はインターネットがそこまで普及しているわけではなかったので海外の人とつながる場合は文通なんです。
興味があったので文通コミュニティのようなところへ応募し、アルゼンチンの子とリトアニアの子と文通を始めたんです。その後、イギリス人やフランス人の人とも交流をしました。
そこで海外の人とコミュニケーションを取るということの楽しさを覚えました。
また当時は邦楽よりも洋楽が好きで、歌詞をよく覚えたりしていて、学校の英語の英作文やリスニングの授業にもそれがたまたま活かせたりして、興味で好きでやっていることが勉強にも結びつくところにも楽しさを感じていました。
中学生の頃から海外には興味を持ち始めましたね。
——スタンフォード大学は言わずと知れた名門大学で、最近はバイオの方にも力を入れていると聞きます。スタンフォードの教育システムだけでなく、やはりその研究の強さも大学選びの根拠に入られたのですか
留学の可否については、当時の京都大学大学院でお世話になっていた教授に申し出たところ、幸いなことに許可を頂けたことが始まりでした。
また、自由な科でしたので、行きたい場所も自分で選ぶことが出来たんです。
私は当初考えが甘く、研究はどこでもできると考えていました。
それよりもむしろ英語を話したかったという気持ちの方が勝っていたので、英語が母国語の国にしようというのが大学選びの一番初めの理由でした。
英語が母国語の国に絞ると、イギリス、オセアニア、アメリカが選択肢に出たのですが、オセアニアの医学系を知らなかったので、アメリカとイギリスに絞ったんですね。
しかし当時、イギリスでテロがあり治安の面で不安なことがあり、国はアメリカに絞りました。
いざアメリカのどこに行こうかとなった時に、そこも治安になってしまうのですが東より西の方が安全なイメージがあるため西海岸を選択しました。
それから西海岸に絞って見ていた時にこれも幸いなことなのですが偶然、以前スタンフォードに留学していらっしゃった先生のご紹介を頂けたんです。
そこからはトントン拍子でした。
普通は留学開始2年以上前から準備しなければならないところ、私の場合は1年ほどの準備期間で順調に進んでいきました。
実際、このような大きい機関に所属させて頂き、本当に幸運なことだと思っています。
Stanford Medicalの入り口。今まで見たスタンフォードとはまた異なる雰囲気がありました。
——メディカルな視点から見て、アメリカと日本の医者のオペレーションシステムや医療機器などで大きな違いというのは感じられましたか
医療機器は正直あまり変わらないと思います。
日本は診療のレベルに関しても日本はすごいなと再認識しました。
実際、日米両方の臨床カンファレンスに足を運んでみたのですがその時の印象は、日本は相当レベルが高いということです。
診療のコスパも含めて考えた場合は圧倒的に日本の方が上手であると思います。検査の費用も全然違うんですよ。
日本だとCTは保険3割が効き、造影剤(画像診断結果を分かりやすくするために用いる薬剤全体のこと)なしで1万円かからないくらいなのですが、アメリカだとその10倍で効くかどうか。すべて一桁ちがうんです(笑)
例えば盲腸の手術は日本で受けたら10万円いかないくらいなのですが、アメリカだと300万円などはザラです。
なので本当に日本の医療はよくできていると思います。ただその分、医療界のしわ寄せがすごいんですけどね。
お給料を比較してもアメリカは日本の5倍くらいあります。だから英語が話せて、医者をやりたいっていう人はちらほらアメリカに医者をしにきますね。
——実際にアメリカで働きたいとは思いますか
そうですね。アメリカを結構気に入ってしまったので(笑)
もう少し長くいたいなとは思ってしまいますね。
ーー何かの病気にかかった時に、日本ではできないけれどアメリカであればオペができるという話を聞くことがあるのですが、それは技術力や研究の進歩などの差があるという証明なのでしょうか
倫理的な問題が大きいのではないかなと思います。
日本は結構規制が厳しい方なので。アメリカも多いことには変わりはないといえばないのですが。
特に最近は個人情報保護とか厳しくなっています。ただ、技術の点では少なくとも放射線の領域では遜色ないかなという気がしています。
——個人情報というのはそれこそ電子カルテの情報などですか
そうですね。日本も中規模以上の病院はほぼすべて、といっては少し大げさかもしれませんが多くの病院で電子カルテが整ってきたのです。
昔は紙カルテの運用が多かったのですが、私の知る限りではある程度の規模のところであれば電子カルテを取り扱うようになっているかなと感じています。
ただ、問題になるのは臨床研究の際に患者さんのデータを使用しなければならない時などですね。
その時に患者さんのデータを不用意に持ち出したりしてもしデータを紛失してしまったら大問題になるんですよね。
その規制がこの1年でまたさらに厳しくなったためより深く注意しないといけないですし、その規制の影響で臨床実験がやりにくくなってしまっているというのもあり、そこが行政と研究員のせめぎあいになっているような気がしています。そういうのは肌身に感じていますね。
Stanford Medical Centerに隣接する、建設中の新病院。2018年の開業が待たれる。
——今スタンフォードでやられていることを教えていただければと思います
元々興味があったのがガンなんです。
ガンの治療法は今までで大きく分けて、1.手術、2.抗がん剤、3.放射線治療の3つがありました。
でも最近はそれらに免疫療法というのが加わったんです。
今までの3つの治療の手段は研究が進んできていて画像に関してもその辺のことはだいぶ分かっています。
しかし、免疫療法は最近新しく出てきたものなのでそれに対して画像でどう評価していくのかということはあまりわかっていないんです。
それを今回留学のテーマとして持ってきています。
私の専門はPET(positron emission tomography)です。
特定の放射線薬剤を注射してPETで撮像すると、ガンの広がりがすごくわかる画期的な検査方法です。
今保険が通っている薬剤の主流は、砂糖に似た物質に放射線をくっつけたもので、FDGと呼ばれるものです。
もっと他の薬剤も開発してPETに通したら、ターゲットに特異的な物質の広がりを評価できるのではないかなと。
そういった、免疫療法に絡めた画像のアプローチを研究したいなと思っているんです。
——日本で研究するのではなくて、アメリカで研究した方が進むなというのは感じられますか
スタンフォードが今すごく免疫療法に注目しているラボがあるんです。
今は、そこのラボにも在籍させてもらう形で研究の立ち上げに関わっています。
こちらでは、ラボ間の垣根が低く、異なる分野の専門家達がファーストネームで呼び合って盛んにコラボレーションをしています。日本ではなかなか見ない光景ですね。
個人的には、元々は臨床の観点から免疫療法に対する画像の有用性に迫ることが目的でしたが、今はそれに加え、もっと基礎的なことから免疫療法のことについて研究をしたいというのがあります。
——期間を伸ばされたのもやはりそれがきっかけだったのですか
そうなんですよ。
基礎的な研究をやろうと思ったら1年ではとても間に合わなくて、お願いして2年に伸ばしてもらいました。
そのため、何とかして成果を上げないといけないなと思っているんです。
スタンフォード大学デザインシンキングイベント会場風景
関心分野について
——病気に限らずして、医療関係の物事など、一番ご自身が関心があるところはどこなのでしょう
私の興味は医療の効率化にあります。
今は人口が逆ピラミッドになってきているじゃないですか。
つまり、医療を受けたい人がすごく増えてきているんです。
ベビーブームの世代が定年を迎え、これからどんどん病気にかかりやすくなってきているんです。
だからこれからは医療を受ける人で溢れかえるはずです。
もちろん、アメリカでも同じように問題にはなっているのですが、もっと深刻なのは日本です。
そのような社会になることは見えているはずが、なぜか医療業界はものすごくアナログなんです。
だってつい最近まで、電子カルテすらありませんでしたから。電子カルテになって、少しは業務効率が良くはなってきたのですが、それでもみんな残業をしないと仕事が終わらないのが当たり前の状況です。
そこで例えば、もっとAIが発達して効率化ができたらみんながハッピーになると思うんです。
医師側は作業効率が滑らかになりますし、患者さんは診療の待ち時間が減り、最短で最適な医療で受けられます。
いろんな専門の先生が集まって1つ1つの症例に関してディスカッションはするのですが、その時にAIのアシストがあればもっとデータに自信を持てるというか。そしたら患者さんももっと納得できるのではないかなと思います。
私自身が医療人なので医療業界を心配するのですが、今業界はものすごく疲弊しています。
インターネットの普及により、正しい知識も間違った知識もたくさん広がってしまいました。
患者さんの中には、外来にその情報を持って「ネットにはこれがいいと書いてました」「これは良くないと聞きましたが本当なのですか」と聞いてきたりする方もいらっしゃいます。
医療へ関する患者さんの理解が深まるのも早ければ、誤解もその分生まれてしまって、業界全体のストレスが増えてしまっているのが現状です。
また、大学病院などの教育機関では医師は、主治医であり、教育者であり、研究者でもあります。
しかも、全てに関して一流であることが問われます。この3つの仕事を同時にこなすのは並大抵の体力では持ちません。
これでは疲弊が続きすぎて、このまま落ち着くとは思えないんです。
そこでもっと効率化をしていかなければと思うことが多々あります。
医療業界は賢い人が集まっているはずなのに、何でこんなにアナログな世界なんだろうなと。
——どこが効率化すればより全体的な生産性が上がると思いますか
放射線科なのでそこのみの視点にはなってしまうのですが、病気の見落としがなくなるシステムを作るお手伝いがしたいというのがあります。
今は、前回結果の画像と現在の画像を比較して判断をしているのですが、機械のアシストで素早く判断できるようになるといいなと思いますね。
1ヶ月前の画像と今日の画像をすり合わせして、『ここが変わりました』と一瞬で判断してくれるようなものです。
あと、単純な作業がもっと機械に置き換わってもいいのになと思います。
でも実は、それが発達して一番早く医者の中で仕事がなくなるのは放射線科と言われています。
画像処理はAIの得意とするところですからね。当然、AIによって職を失う可能性を嘆いている人と、AIに助けてもらえると喜ぶ人がいるのですが、私は喜ぶ方ですね。
やっぱり人が最後は責任を持たなきゃいけないので、人がいなければ成り立たないと思うんです。
次はどこまで機械に任せるべきかというのが議論になるかと思います。
今は徐々に医療系のベンチャーが増えてきていますが、自動車や飛行機と同じように、医療も人の命直接関わるものなので完全に安全が保証されないと認可が下りないため、時間はかかりそうですが頑張って欲しいと思っています。
将来的にやりたいこと
——それでは先々は医療業界の効率化というところに携わっていくのですね
そうですね。今やっている研究とは少し異なってしまうのですが(笑)、医療の効率化をしたいというのと、ガンの治療に役立つことがしたいというのがあります。
免疫療法の1つの問題点は、非常に高額なことです。
それが効く患者さんは全体の20%と言われているのですがそれにも関わらず、誰に効くのか、また高いけど受けたらいつやめたらいいのかがわからない状態で、高額な治療を続けるしかないんです。
これは患者さん個人には非常に辛いところです。
そうなるとやっぱりどの患者さんだったら効くかというのと、どの程度それを続けたら効果がでるかというのを予測できたらと思うんです。そこに画像の役割が出てくるかなと思っています。
——ガン自体に興味持ったのはご自身のご経験か何かで関心を持たれたのですか
冒頭に申し上げた母親の病気は実はガンで、私が小学生の時に経験しているんです。
その時に、「お母さん亡くなっちゃうのかな」と思ったんです。
おかげさまで今も元気ですよ〜(笑) でも、そういう時に身近な人の死を考えるんです。
『ガンって、治るの、治らないの?』という疑問があります。
幸い母の治療は成功したのですが、同じ病室にいた人の中では亡くなってしまった人もいました。
そういうのを直接見ているので何とかして治療法を提供していきたいという思いがあります。
医療の効率化、そしてガンの治療への貢献に今後は関わっていきたいですね。
最後にメッセージをお願いいたします
これは本当に声を大きくして言いたいんですけど(笑)、私のおすすめは得意分野を2つ持つことです。そしてできれば若いうちにです。
1つの道のエキスパートになろうとしたら飛び抜けたエキスパートにならないと難しいと思います。
もちろん、本業はプロであるべきなのですが、それでは普通のプロで終わってしまいます。
しかし、2つあるとその強みは絶大です。もう1個得意分野を持っておき、その2つのものを自分の中でコラボさせるんです。それができるとクリエイティビティがぐっと上がります。
自分の場合だと、医者であるに加えて、もしプログラミングの知識などがあれば、特にシリコンバレー周辺ではかなり仕事の幅も広がると思います。
現実、そこがないので努力をしています(笑)
なので1個スペシャリティを持ち、もう1個サブスペシャリティを持っておくといいと思います。
例えば、私の友人で整形外科医をやっている人がいるのですが、彼女は同時にセミプロのバスケ選手だったんです。
そうすると、選手の気持ちもわかるし、どういうところが痛みやすいかというのも自分の体で理解することができます。
しかもその面だけではなく、医者の立場からアスリートの研究もできるということがあり、彼女は今すごく活躍していますね。
なかなか2つエキスパート分野を持っている人はいないので、持っていると成功が早いのではないかなと思います。
それは私が誰にも教わってこなくて後悔していることですね。もっと早く教われればよかったなって本気で思います。
だから、自分が何かで戦う時に備え、2つの武器を持っておくことを強くオススメしたいと思います。