"意識が高い人" は "人生を良くするために動いている人"のことなんじゃない?考えをまとめてみた。

こんにちは。
“意識高い系”と言われる言葉が日本でほぼ流行語のようなものになり、
著名な方から学生まで定義は分類されるのはともかく、それについて僕も意見があったのでここに綴ってみようかと思いました。

意識高い系って?

そもそも、意識高い系ってなんですかね。
先日目にした記事で、
大学の授業に出るだけで「意識高いね〜」と言われる。
テスト勉強をするだけで「何頑張ってるの?w」と言われる。
将来の夢のために学生団体とかに入って積極的に活動していると
「なんか変わったね〜。」と軽蔑される。

果たしてこれは本当に“意識が高い”のか?
学生は学業に励むのが第一優先であり、そのために大学受験という壁を越え、
大学に高いお金(うちの大学授業料など全て込みで576万円でした。)
を払い、学部に所属し履修を組み勉強しているはずなのです。

しかし日本の大学には学業に励むという文化浸透は薄く(一概には言えないが)、
バブル時代を生きていた人たちの言葉を真に受けてなのか自身の意思決定なのか文字通り「遊ぶために大学へ行っている」という人がかなり多いです。

例えばサークルで毎晩飲み明かし、単位を落とす。
学校をサボり遊びに行く。授業はつまらないので携帯で遊ぶ・寝る・内職。

高校生までの頃は考えられなかったある意味自由な生活。
あの時は面倒くさがりながらもしっかりと定時に学校へ行き、早退や遅刻などもなかったのに一体何が高校生の頃と変わったのか。

もちろん個人で異なるためどこに原因があると一概に言えるわけではないです。
しかしながら、私は要因の一つは教育にあると考えています。
高校までの教育には個人で考えて課題をおこない、自分の頭で考え、好きなことを行うというものはありません。
ただ与えられた課題をこなし、授業に沿った勉強のみをやって、赤点さえとらなければ卒業できます。
そして、その勉強している教科さえも、自分で選択したものではなく文科省が設定したカリキュラムに沿って学習を進めるだけの、一切プロアクティブな姿勢が伺えない教育です。

しかし大学に入ると、いきなりそのリードを手離されたごとく、自由になります。
この教育をされ、いきなり自由にされたところで学生は何をしていいのかわからないのです。
受動的にもらえるものとしては強いて言うのであればレポートと半年に一回の定期テストくらいです。

クラスルームもないため、休んでも遅刻しても早退しても誰からも何も言われることはありません。
そして何をしても自分の責任(責任という言葉を知っているが理解していない学生は日本に非常に多い)になるという表面上の言葉だけに踊らされ、実際は無責任な行動を起こします。

今まで言われた通り勉強や授業をこれまで受けていたため、何も考えないと言われた通り遊ぶ、自分で考えない4年間を過ごすことになります。
逆にそれが正しいと、認識付けられているのかもしれません。
日本の学生はほとんど自分の頭で考えない、Passiveな教育しか受けられていないために流されるままに流されてしまうのです。

自分の頭で考えずに、大学は「遊ぶ場所」という概念が浸透しすぎているため勉強=学業に専念していると「意識高いね」と仲間外れのような視線を受け、ますますしづらくなるというのが現実であると思っています。

以上は個人の見解です。
東京にある中堅大学、文系学生の視点+複数大学の友人と意見を交えた考察です。
文理・大学の教育レベルにもよるため人それぞれ異なりますが一般論はこうでないかと思っています。

また、”意識高い”という言葉は最近出てきたと勝手に思っているのであるが、
僕はその派生元はネットビジネスやっています系Twitterアカウントであると思っています。
それは一回しか会っていないor話したこともないが著名な方と写真を撮り、SNSにアップして栄光浴を浴びる人であったり、ネットビジネスを行い、情報弱者をターゲットにしている人。
はるかに三年前よりは増えたと思っています。
加えて、セルフブランディングとしては「ヒルズ族」「20代で年収1000万」「車、家あります」という人たち。

そのため、普通に頑張っている人がこの悪の”意識高い系”に分類されていったのではないかと思っている。

しかし意識高い系と言われてしまう人たちにもしっかりと自分の目的・目標に向かって頑張っている人がいます。
というか、そういう人たちが揶揄の対象であるから一つの社会的問題になっているとは思うのですが。

何が意識高くて何が意識低いの?

そもそも何が意識高くて何が低いのか。
特に定義はないとは思います。
なぜならこれもただの流行語の一つであると思うためです。
日本語は特に面白くて、略語やふざけた若者言葉が年々増えていっています。
“わんちゃん” “まじ卍”など。。

そのためこの意識高いという言葉もその分類かと思っていますので、どうせ2年後とかには死語になっているだろうとは思いつつ。

さて、本題に入ると、何が意識高いと言われるのか。
僕は二年前ほどから考え始めました。

しかし”意識高い系”の中の頑張っている人たちは、結局
自分の人生をより良くしたい系“な人たちなのではないかと思っています。
なぜなら、少なくとも何かを自分から行っていて、何か1ミリでも昨日より前進できる毎日を送っている人は何かしらパワーやモチベーションを持っています。
しっかりとした目的があったり、受験で失敗したから、こういう体験をしたから、という個人の背景で動いています。

時に、そういった人たちが揶揄の対象になり、
「あいつは変わった。意識高い」「意識高く頑張っているけど何で?」
という言葉を食らうことになります。

こういった言葉や批判を食らい、日本人である僕たちはコミュニティを大事にするため自分をも守るために今度は自分がそっち側に入り言葉だけ真似し始めます。

自分がやっていることは実際は「意識が高い」と言われるものであるが、それを言われるのが怖いため自分はそうでないと振る舞うわけですね。
こうすると、この循環が日本各地の学生コミュニティで生まれ、ますます揶揄する人の母数が増えていきます。
このインターネット時代、声だけをあげれば相手を傷つけられるため、思いは乗っかっていないともその「声」だけで十分なんですね。

何をするのが正解か

じゃあ一体何をするのが正解なんですか?
僕は別に正解なんてないと思います。

批判したい人はすればいいし、頑張りたい人は批判だけしている人を出し抜き、3年後とかに笑ってやればいいのではないでしょうか。
結局は自分次第で、いかに自分の思いを保ち、それに向かってまっすぐ努力していけるか。
それに尽きると思います。

人それぞれ人生があるので、あなたが満足する人生=100%満足した人生
となるためそれに向かって今の努力量を調整すればいいだけの話でこれ以上もこれ以下もないと思います。

また、大学生活では面白いことが起こるんですよね。
僕は大学一年生から外部でいわゆる意識高いことを行い、
みんなに「なんでやっているの?」というような雰囲気を受けてきました

しかしながら大学三年生になった途端に「就活」という悪魔(捉え方は人による)がぐいぐいと攻めてきて、ESで学生を振り落とし、学生の未来をどんどん狭めていきます。

これをこの瞬間に見た学生は「何もしてないやばい!」「何すればいいんだろう。。」と困り果てます。
しかしいわゆる意識高いことをやっていた人(頑張っていた人たち)というのは事前に準備していることに加え、外部に親しい社会人や先輩との接点があるため前述の人たちに比べ、余裕があるまま乗り越えることができます。

面白いことというのは、この瞬間に「いいな〜。お前は昔からいろいろ動いていたもんな。
このセリフです。
今までは散々批判や揶揄をしていたのにこの瞬間に羨望するという、なんとも浅はかな行動水準。
じゃあ1,2年生の頃にやっていればよかったのでは?どうせ社会人になって仕事する未来しか見据えていないのであれば。

揶揄するだけの人はどうなるのか

さて、ここで揶揄するだけの人は一体どうなるのか。
きっとまたこれが面白くて。

今の若者は一年間に本を一冊も読まない人が38%くらいいると言われています。
実際その人たちはまた、”意識高い”揶揄し、何もしていないという現状があります。
これってチャンスでしかないですよね。
サッカーでいう、ゴールキーパーがよそ見している感じ。
ボクシングで相手のガードが常に下がっている感じです。

今からテクノロジーが進化し、仕事が奪われる〜
などと言われている中、未来はどうなるかわからないですが、とにかく激動の時代だと思っています。
そのため、焦らざるを得ないと思っています。
そのため揶揄するだけの観客は置いておいて、やりたいこととか目指すべきものに向かえばいいのではないかと思います。
中身が空っぽでも行動するにつれて付いてくると思います。

また、僕が好きな言葉にこういうものがあります。

ファイト!闘う君の唄を
闘わない奴らが笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
震えながらのぼってゆけ

これは1983年に中島みゆきが出したファイト!」 のサビの部分に当たるのですが
僕はこれを5歳の頃から家族で乗る車で初めて知り、そこからずっとなぜか心に染み付いています。
それくらい人生を通して納得の行く、説得力のある歌詞だと思っています。

つまり結局いつの時代も挑戦する人は何かしら批判を食らい、何も挑戦しない人は外から見て野次だけ飛ばしている。

そしていざ挑戦者が失敗したらあざ笑い、いざ成功したら
「あいつと知り合い」「同じ高校」「あいつは成功すると思った」など戯言を言い始めます。

人生頑張っている人が成り上がっていきますよね。
それはかの有名なスティーブジョブズや矢沢永吉、ソフトバンクの孫社長もみんな昔はクレイジーとされてきて、たくさん批判を受け、たくさん失敗しましたが最終的には成功し、今は人々になくてはならない商品や魂や思いを届けています。

人の一番の応援者は人であると同時に、一番の障害はまた人であると思います。
目的に向かって一心に突き進むことが必要だと確信しています。

そんなことを思い7月に下書きをして、9月下旬の今に公開したという、そんな感じです。
今回は少しばかり棘のある記事を書いていたことに反省しつつも、これが僕の疑問に対する心情なのだな、と。

結局は頑張った分だけ結果が付いてくるし、自分が信じて頑張ることであれば周りの声や目など気にせずに、それに向かって一生懸命進んでいけばいいのではないか。と、実は答えが明確なお話。