[中編] サンフランシスコ・シリコンバレーで起業する3つの理由




大きな転機 ~ミシガンへMBA留学~

——2017年までミシガンへ留学していましたね

社費で行っていました。

そのため、会社に帰ることが当然期待されているものではあったのですが、どうしてもやりたいことがあったため、会社には申し訳ない気持ちはとてもありましたがしっかりと説明し、退職しました。

やっぱり自分のやりたいことに嘘はつけないなと思いました。

スポンサーリンク

——留学中に、海外と日本の教育現場の違い、ビジネス環境の違いを直接的に見られたというのも起業を決めるに至った理由としてありそうですね

かなり大きかったですね。

——起業の場所としてシリコンバレーを選んだ理由は何ですか?

3つあります。

1つ目はテクノロジーのアダプション

2つ目が資金調達環境

3つ目がビザ

です。

1つ目の理由: テクノロジーのアダプション

お話してきた通り、10代のうちから誰もがキャリアを前進させられる世の中を作りたいという、揺るぎないビジョンを持っています。

そういう意味では、解決したい課題や事業の大枠は決まっています。

言い換えれば、自分の墓場はキャリア教育と決まっているのです。

あとはこれをビジネスと成り立たせるには、どこでどうやるか

また、MBA留学含め、色々な国の人と話した結果、キャリアの問題は本当に世界どこでも起こっている問題なので、その問題を解決するためには、世界にスケールするサービスを作ることを志向するのは自然な結論だと思っています。

アスデッサンを経営していたときの最大の発見は、ノンテックでスケールさせることは相当ハードルが高いということです。

自前授業が良くないというわけではありません。

実際それで人生が変わったという中高生を何人も見てきました。

しかし、スケールはしないなということを感じたのです。そこで、スケールさせたいときに何を絡ませる必要があるかとなるとやはりテクノロジーだと思いました。

テクノロジーの力を使いたいということで『キャリア教育×テクノロジー』を最初に決めました。

サンフランシスコでは毎日のようにテクノロジー系や投資家向けのイベントが行われており、起業への意識の高さを感じる。

それをマーケットが受け入れられるかというのが大事な観点でした。しかしやはり日本でやることは大変だと思ったのです。

アスデッサンの活動で学校現場によく行っていた頃、当時はパズドラが流行っていて『スマホ=パズドラ=勉強の妨げ』と先生の目には映っているのではないかと感じることがよくありました。

これが日本の状態であったと思うのです。

アメリカの実際の教育現場を見たかったことから、ミシガン大学付近の地元の公立高校で短期インターンをしたことがあります。

そこで驚いたのは全校集会で見た光景でした。

先生が「宿題の話するからみんなスマホだして」と言い、生徒たちがスマホを出します。

それでプロジェクターでQRコードを映し出して「これみんな読み取って」と。

デバイスはみんな持っている前提で話が進み始めるのです。

「持っていない子はあとでITルームにいってサインアップしておいて」と。

それを見たときに、「エドテックいけるなこの国」と感じたのです。
Education関係のスタートアップだけでもこのマップ以上の数の企業が興されている。CB Insightより。

2つ目: 資金調達の厚み

日本は最近資金調達環境が良くなっていますがまだまだ規模としては小さく、この辺の厚みとは違いますよね。

シリコンバレーは資本が集まっていて、できるならこの辺の投資家から資金調達したいと、誰しも考えたりするのではないでしょうか。

一方、こちらでどういう人が投資しているのかを見ると、アメリカで起業して、成功して、お金を手にしたので今は投資活動としてエンジェルやVCをやっている人が多いです。

そして、投資は自分の経験や土地勘がない場合は、余程の理由がない限りできないのです。

そのジャッジをするときに例えば三浦くんが投資家で、アルゼンチンの山奥にあるゲーム会社に投資できるかといったらまずできないじゃないですか。「アルゼンチン知らないし」と。

あるいはガーナにある鉄鋼の会社に投資できるのかとなった時に、ガーナの投資リスクはどのくらいなのかや、疫病などの問題はないか?などといったことを考える必要があります。

それに加え、ビジネスの習慣を知らないところに投資ができるかと言ったらできないですよね。

それと同じで、自分が日本で起業してマーケットも日本だけども、資金調達はアメリカがいいですと言うと「日本のマーケットを全然知らないから君がどんなにいい事業をしていても僕は怖いから投資ができないよ」と言われてしまうことが多いです。

そうすると必然的に、アメリカで資金調達しようと思ったらアメリカで仕事をしていないと資金調達ができないんです。

留学中にも「僕は今こんなことを考えていて、日本かアメリカでやりたいのですが」と聞いたら「僕のVCは日本の会社に投資しないです」と言われたこともありました。

そういう見方なのかということを感じました。また、他の投資家にも聞いてみたのですが「アメリカの会社じゃないと投資しませんね」と言っていました。

アメリカの規模が大きいのは知っていたのですが、アメリカで調達したいのであればアメリカでやるしかないなということを改めて感じました。

また、シリコンバレーにはエンジェル投資家やVCが多くおり、物理的に近くにいるということはネットワークができたりピッチができることもあるため、やはり大事なことだなと思いました。

それがアメリカを選んだ理由になりましたね。

ビザ

最後はビザの話になるのですが、OPTが得られたのは大きかったですね。

ビザを取るのは大変なのですが、マスター(院卒)を出た上で申請すると余程のことがない限りOPT(1年間米国で働けるビザ。STEM科目の場合3年近くの滞在を許される)が取得できるのです。

今まで日本でキャリア教育を行っていましたが、これから自分が本気でやりたいことは何かと考えたんです

もし働いて1年や2年であれば、もっと会社で見られるものがあるかもしれないという期待があるかもしれませんが、10年働いて、いいところも悪いところも見られたと思っていました。

自分が本当にやりたいことをやる期間も考える期間もありましたし、アメリカに来てシリコンバレーを見てエコシステムの凄さも見えた上、資金調達の深さも見られ、テクノロジーのアダプションの差を見た時に、日本でスケールしようと思ったら難しいなと。

しかし、アメリカでだったら可能ではないのかと思ったのです

もちろんOPTが取れると言っても1年で期限が切れてしまうので、そのあとどう次のビザをとるのかを模索するのも大変ですし、僕は日本生まれ日本育ちなので言語も大変などといった、様々なハードルはありました。

しかし、それ以上に見える機会の大きさが尋常ではなかったため、行ってしまおうと思ったんですよね(笑)

もしうまくいかなくても自分のバリューは上がるしかないからやるしかない、なぜ今やらないのか、という感覚でした。

家族も納得してくれて、アイデアもありMBAもありビザもあり、資金調達の様子も見えて、年齢的にもキャリアをちょうど深く考える時期だったため、全てが重なったタイミングでしたね

OPT: 留学生がアメリカの大学や大学院を卒業した後付与されるビザ。卒業後およそいくつかの条件と同時に1年間働くことができる。STEM科目を専攻し、卒業した場合17ヶ月まで延長が可能。

学生時代について

——学生時代はGap Yearという団体をやられていましたね。その時点からキャリア教育に関連したものと思うのですが意図して選ばれたのですか

見えたチャンスを全て掴みにいった結果その団体にたどり着いたというのが正確な回答ですかね。

その前の話をすると、僕は高校生の頃、とても斜めに構えた若者でした。

大学1年生の頃の口癖は「どうせ」でした(笑)  口を開けば「どうせ」と言う、今とは真逆などうせ人間でした(笑)

高校3年生のある日、新宿駅を歩いていたら外国人の方に「Where is Yoyogi station?」と話しかけられました。もちろん、言っていること自体は理解できました。

だから「山手線に乗って次の駅です」と言いたいのですが、リーディングしか英語をやっていない日本人の少年は、言われた英語を理解するのが精一杯で、答えることができなかったのです。

その時に「何で毎日英語やっているのに代々木駅がどこかも答えられないのか」と悔しく感じたんです。

結局その後、第一志望の早稲田大学に行けずに失意のまま明治大学へ入学し、どうせ人間となり、とにかく悶々とした人間だったわけです(笑)

その時にそのような若者は「早稲田にも行けなかった。英語も何をやってもどうせ全部意味ない!」と投げ出そうと考えます(笑)

しかし当時、そういった色々な悔しい思いが重なり続け、その挙句、弾けた時に、英語も話せないし早稲田に行けなくて明治に行き、周りと同じように適当に過ごしていたら早稲田に行ったやつに絶対勝てないなと思ったのです。

だから、全然違うことやってやろうと思い始め、ようやく吹っ切れることができたのです。

そこからまず、英語が話せるようになりたいと本気で思い、バックパッカーをし始めました

ーーどういった旅だったのですか

バックパッカーの最中はあえて何も考えないで行きます。

そうすると誰かに話しかけたことによって仲良くなり、車に乗せてもらい、2時間先の街へ行き、またそこで降ろされて。

そしてまた近くの人に話しかけて、泊まるところが急に決まり、おいしいものを食べさせてもらい次の日の朝はまたノープラン。

そうやって過ごしていくと、自分の起こした行動によって何もかもがすべて決まるのです。

今までは環境のせいにしていたのですが、結局それはオーナーシップがなかったからだと思います。

流れに身を任せていたのが、バックパッカーという形で外に出て、一切のヘルプが0で、自分の行動によってすべてが決まっていくという感覚を得た時に世の中は動かせるんだ。自分の行動で何もかもが変わるんだな」という原理原則みたいなものに気がついたんです。

そこからすごくプロアクティブな人間になったのです。

最終的に、大学時代中におよそ25カ国回りました。しかしある時「海外には刺激があり、日本には刺激がない」という構造になってしまっていると気が付きました。

刺激を海外に求めていくのは逃避行動なのではないかと思い始めたんです。

そのため、これからは何もない生活に波を立てていこうという、自分の中にテーマができたのです。

スポンサーリンク

ーーなるほど。そこからGap Yearに

そうですね。

どうやって波風を起こしていくかとなった時、偶然の出会いから、Relay Of Spiritsという学生団体に入りました。

学生団体というものに初めて入ったので、どう動けばいいのかわからずもがいた面もありましたが、学生だけでベンチャー企業のCEOを呼んで講演会をオーガナイズするようなところで、そこで色々勉強させて頂きました。

当時日本に持ってこようとしていたGap Yearの概念としては、大学1年生の丸々1年間を、海外留学、インターンシップ、ワーキングホリデーなど、社会勉強を通して成長するようなことをしたら1年分の単位を全部獲得できるというプログラムというものでした。

休学しなくても自分のしたいことができ、予定通り卒業できるのです。

面白いのは、今になって振り返って見ると、キャリアをどうやったらいいものにできるかと考えたり悩んだりする人たちを後押しする活動に昔から情熱が注がれていた点では、今やっていることと繋がっているんだということです。

人が将来の可能性に気づいてアクションを起こして、その結果一番燃えられる世界にはまっていく瞬間を見つけるお手伝いをしたいというか。

きっとここ10年くらいは、自分でも気づかないながらも、やりたいことが一貫していたのでしょうね。

そういうのを助けるような活動になんだかんだで色んな局面で関わってきていたんだなというのは今振り返ってみて思いますね。

スポンサーリンク